〜社寺建築☆美の追求〜 大岡實の設計手法
 大岡實建築研究所
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「大岡建築研究室」の誕生
大岡實建築研究所は昭和25年半ばに「大岡建築研究室」としてスタートする。その経緯について見てみよう。
昭和24年末頃、大岡(みのる)は一高時代からの親友であった小野(かおる)氏(元日大教授)の紹介で双堊(そうあ)建築株式会社に入社し、そこで後の設計活動のパートナーとなる松浦弘二(ひろじ)と出会うことになる。大岡實はそのネームバリューを使って富山市光厳寺(こうごんじ)本堂、京都市醍醐寺消防署や大徳寺消防署等の工事受注に力を入れることとなった。うまく受注し、遠方ながら外注形式を採用して現地の施工を進めたのだが、結果として殿様商法になり、双堊建築株式会社は閉社せざるを得なくなる。
昭和25年半ば、大岡實と松浦弘二の二人は大岡實の自宅に勉強部屋を増築した。ここに大岡實建築研究所の前身である「大岡建築研究室」が誕生する。そして近所の落合邸、また知人の岡邸、相川邸などの新築工事を依頼され、主に松浦弘二が設計施工を行なっている。自ら出来る部分はなるべく手掛けて外注を少なくする事を心掛けたという。昭和26年6月頃になると大岡實の設計受注があった。それは京都市右京消防署新築工事の設計であった。そしてこれが誘い水のようになって次々と社寺建築(宗教建築)を主とした受注が続き、大岡實とその助手としての松浦弘二が二人三脚で社寺建築の設計活動を始動するのである。
「大岡實建築研究所作品目録」にあるように、大岡實の新築作品としては昭和4年の当麻寺の松室院書院(木造)があるが、本格的な設計活動の処女作は浅草寺(せんそうじ)本堂であり、生涯に100棟以上の建物を設計している。
そしてこの「大岡建築研究室」は昭和45年前後から「大岡實建築研究所」と名称変更するのだが、以下に大岡實建築研究所の沿革を簡単に記す。
昭和25年半ば 新宿区三栄町の大岡自邸の離れに前身となる「大岡建築研究室」を設立。松浦弘二を助手としてスタートした。
昭和26年 京都市右京消防署、浅草浅草寺を受注
本格的な設計活動に入る。
昭和45年2月 大岡實建築研究所に名称変更
(所属建築士:大岡實/松浦弘二/松本曄)
昭和62年12月 松浦弘二が所長に就任。
和光市下新倉に事務所を移設。
平成16年10月 松浦隆が所長に就任。
板橋区成増に事務所を移設。
平成22年4月 松浦芳夫が所長に就任し、設計活動の業績の整理に着手。
松浦隆は引き続き設計の一切を担当し、作品建物の耐震対策等に
も対応し、作品の保存・継続を図ることとした。
平成27年5月 松浦清が所長に就任。
港区赤坂に事務所を新たに開設。板橋区成増の事務所を資料室兼
とした。
松浦芳夫は資料室長としてホームページ管理人等の業務に専念
松浦隆は引き続き設計業務の一切を担当して作品建物の保存・
継続を図ることとした。
 令和5年1月 新たに朝霞事務所を開設し、現在に至る。
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