〜社寺建築☆美の追求〜 大岡實の設計手法  大岡實建築研究所
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穴守稲荷神社 社殿(東京都大田区)
  第二次世界大戦が終わった直後の昭和20年に、羽田空港の拡張のため米軍より強制撤去を迫られたことにより現在の地に再建されたという。当初は仮社殿であったが昭和39年にこの社殿が建立されている。  
  当時の写真が残っている。  
   
   

緩やか唐破風の上に千鳥破風(ちどりはふ)が乗って見えるベストアングル。大屋根の軒が伸びやかに広がり、あたかも鳥が翼を広げ風に乗って大空を飛んでいるようである。飛行機の翼より格好が良いのでは。

   
 

正面立面図

 
     
     
   
 

向拝断面詳細図

 
     
     
     
     
     
     
     
     
拝殿の後ろに幣殿・渡殿・本殿と続く権現造となっている。
  正面は拝殿と本殿をつなぐ幣殿・渡殿/右手が本殿   
     
 
   本殿側面  
     
     
     
   
さて、穴守稲荷神社では社殿の他に「奥の宮(別宮)」と「神楽殿」も設計して
実現している。

奥の宮

奥の宮 立面図

神楽殿

神楽殿 立面図

ここに神楽殿の落慶法要と節分会の写真が残っている。

前列中央が大岡實、右端が松浦弘二

大岡實(右)と松浦弘二

なお、この大岡實建築研究所の設計の前に、寄付を集めるための設計案(日本社寺公務所が設計した木造案)が存在しており、日本社寺公務所代表の伊藤高芳氏が大岡實に宛てた書簡と共に、川崎市立日本民家園の「大岡資料」に残されている。
書簡には、大岡實建築研究所の設計で建設される事が決定してしまったものの、当初案の設計料について施主側に進言していただきたい旨の内容が書かれている。
また、当時の穴守稲荷神社宮司の羽倉信光氏の名刺も「大岡資料」に残されているが、名刺には穴守稲荷神社と並列して鉛筆書きで麻布氷川神社とも書かれており、昭和29年建立の東京都港区氷川神社幣拝殿(へいはいでん)の設計との縁も感じられる。
「大岡資料」とは故大岡實博士の旧蔵資料で、遺族から川崎市立日本民家園に寄附され、現在も整理作業中である)
年月 西歴 工事名 所在地 工事期間 助手 構造設計 施工 構造種別
昭和37.03 1962 穴守稲荷神社 社殿 東京都大田区 昭和37.11〜39.06 松浦弘二 松本曄 小川組 RC造
昭和39.11  1964  穴守稲荷神社 別院(奥の宮) 東京都大田区 昭和39.11〜40.03  松浦弘二 意匠設計共  松本曄  村石工務店  RC造 
昭和43.05  1968  穴守稲荷神社 神楽殿 東京都大田区  昭和39.05〜44.01  松浦弘二 意匠設計共 松浦弘二  社寺建築工務所 木造 
 
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  穴守稲荷神社ホームページ
http://www.anamori.jp/ 
 
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