〜社寺建築☆美の追求〜 大岡實の設計手法  大岡實建築研究所
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素盞雄(すさのお)神社社殿(東京都荒川区)
素盞雄(すさのお)神社社殿昭和29年6月の素盞雄神社例大祭に際しての素盞雄神社社殿再建設計要旨に大岡實へ設計が依頼された経緯が書かれている。

「昭和28年、例大祭に造営協賛会を結成して以来、氏子崇敬者各位より多額の御奉納を戴いておりますが、その貴重な浄財を一層意義あらしめるために、社殿の設計は特に重要なものでありますので、神社建築の有識者に設計及び構想上の協力も得、一方数回に亘り新様式による既存神社を参観研究の結果
一、旧社殿の再現
二、木造(檜)にして現代感覚を加味したものの二案より
三、不燃性建物にして、今後の神社建築に代表的建物となるべきもの
と決定し、斯界の権威大岡実博士に設計を依頼しました。
                    素盞雄神社造営協賛会 役員一同」

この期待に応えるが如く、この素盞雄神社社殿は神社建築の代表作になっているのではなかろうか。
また、この素盞雄神社社殿再建設計要旨の中で大岡實は「不燃性建物(鉄筋コンクリート造)にすべき理由」として次のように述べている。
「市街地の人家密集の度は年と共に激しくなり、火災による建物の焼失量は、現在新築の量に追付かぬ状態である。素盞雄神社の地も附近に民家が密集して、火災の危険は十分にある。折角氏子崇敬者多数の浄財を集めて建築した建物が、一朝にして烏有に帰することは頗る残念であり、設計者としても本意でない。神社の為を考えても、亦社会的に考えても、当然鉄筋コンクリートにすべきである。
唯鉄筋コンクリートにする時は、建物の優美さの點に欠ける點のあることを一般には恐れられているのであるが、これは従来の鉄筋コンクリートによる此種の建物の設計者が、近代建築の設計者で日本建築の真髄を知らないためと、日本風の建物を鉄筋コンクリートによって設計する場合の特別の工夫に経験がないためである。
今回は設計者の永年の経験により、この點を十分考慮して設計するから、決して斯る心配は不要のものと確信する。」
(下線は引用者による)
ここには日本建築の第一人者としての自負と人々の満足のゆく設計をしたいという強い意思とが垣間見られるのではなかろうか。

下記に現在の能圓坊素盞雄神社宮司より提供いただいた貴重な写真がある。
写真右上の小写真が戦災前の拝殿(手前)と本殿(共に木造)で拝殿と本殿は別棟であった。(このことが本殿が戦災を免れた要因とのこと)そして本殿は今も新しい拝殿の後ろに存在している。

正面は戦災を免れた本殿

また、ここに完成当時の写真が残っている。

拝殿の後ろに戦災を免れた本殿が見える

左手が戦災を免れた本殿/屋根は権現造(ごんげんづく)りで正面向拝屋根は千鳥破風(ちどりはふ)付の流れ造りとなっている/手前は神楽殿

正面向拝

正面立面図

正面の向拝の他に両脇に唐破風(からはふ)付向拝をもつ

右脇唐破風付向拝

右側面立面図

左脇唐破風付向拝

屋根伏図

正面向拝詳細図

左脇唐破風付向拝と大屋根妻面の鬼板・破風(かざり)金物・妻飾りの猪目懸魚(いのめげぎょ)/妻形式は豕扠首(いのこさす)

右側面から/左手は右脇唐破風付向拝、右手が本殿(右端は社務所)

昭和29年6月の素盞雄(すさのお)神社例大祭に際しての素盞雄神社社殿再建設計要旨

(クリックすると拡大されます)

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また、ここに当時の写真が残っている。

右端が大岡實、左端が松浦弘二

中央左が大岡實、その左が松浦弘二/右から二人目が斉藤昌昭氏、三人目が斉藤平次郎氏

素盞雄神社総代であった田中氏の依頼で作製した神棚/斉藤平次郎氏作

年月 西歴 工事名 所在地 工事期間 助手 構造設計 施工 構造種別
昭和30.01 1955 素盞雄神社 社殿 東京都荒川区 昭和30.01〜31.09 松浦弘二 小野薫・佐治泰次 日辰建設 RC造
     

天王祭にて

     
 
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