〜社寺建築☆美の追求〜 大岡實の設計手法  大岡實建築研究所
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中尊寺金色堂新覆堂(岩手県西磐井郡平泉町)
平成23年6月26日、中尊寺などの文化遺産で構成される平泉が世界遺産登録を受けた。その代表的建築物が金色堂であり、上記の構図の写真が一般に知られている。しかし、この建物は金色堂を保護する為の覆堂である。大岡實はこの「新覆堂」の設計を成している。写真を見ると、上っていく石段にサッと差し出された庇の深さと、軒の線の柔らかさが、建物全体の優しさを印象付けている。
ちなみに、この新覆堂の中に藤原四代のミイラと副葬品が納められた金色堂がある。

週刊古寺を巡るより

さて、この新覆堂の前には「旧覆堂」が金色堂を守ってきた。
旧覆堂は鎌倉時代のものとされる木造建築物で、重要文化財である。700年以上、金色堂を守り続けて来たが、昭和の改修に伴い、新覆堂に役目を譲った。
大岡實が新覆堂を設計するに当たり、この姿を眺め何を思い、それは設計の中にどう反映されたのであろか。

まず、構造についてであるが、大岡實は「このような新覆堂に要求される第一の条件は、耐震耐火である。現在の技術で耐震耐火の建築と言えば鉄筋コンクリート造り以外に考えられない。」と述べている。
 

 (金色堂新覆堂/文化財保護委員会/月刊文化財第56号)

 
  結果、構造は鉄筋コンクリート造で、火災・地震などの災害から、国宝金色堂を守っている。
また、「最初の案は金色堂本体のはいる部分を正方形の方形造りとし、前面の金色堂を拝するスペースは、縋破風によって葺き下ろした廂とし、側面から金色堂を眺めるスペースは南の方へ張り出すことにした」と前面を葺き下しとすることで総高を低く抑えておだやかな感じを出そうとしている。
そして、「周囲との調和から、できるだけ大きなヴォリウムやゴツサを感じさせないように配慮した」とも述べている。 
 

(金色堂新覆堂/文化財保護委員会/月刊文化財第56号)なお、下線は引用者による

設計図(最初の案)
     
断面図(最初の案)/金色堂と新覆堂の方形屋根の中心を一致させて総高を低く抑えている
     
  ここには大岡實の中尊寺全体の景観との調和を第一とした思いが次の文章からひしひしと読み取れるのである。
「文化財的な建造物などの風格を保ちつつ保存してゆくには、その周囲の風景の性質と調和することが重要であって、何よりも風景をふくめた、建造物のスケールとヴォリウムの間のバランスが最大の問題であることを身をもって感じたのである。」
「中尊寺一山が、女性的とさえ言いたいような、静かな穏やかな、ふんいきの中に、全くスケールのちがった、大きなヴォリウムの新覆堂が建ったのでは、中尊寺の気分を一度に破壊してしまうことになるのであって、この点にもっとも苦心したのである。」 
 
 

(金色堂新覆堂/文化財保護委員会/月刊文化財第56号)

 
     
しかし、この最初の案は訂正を余儀なくされる。
「できるだけ高さを低くし、木細い軽い感じのものを目指したのであって、この案は小委員会で全面的に賛成された。ところがこの案は外部のある一人の委員から反対された。(中略)そのため最初の案では全面が廂になっていて金色堂の方形屋根の中心と新覆堂の方形屋根の中心が一致していたから、新覆堂の主屋の屋根の頂上の高さは、必要最小限度におさえられていたが、訂正案は、主屋全体に方形屋根をかけて、金色堂を後方によせたので、新覆堂の屋根の頂点は金色堂の頂点より前にずれるので、それだけ高さが高くなってしまった。」
「屋根の引通し勾配も、はじめは古い時代のおだやかな感じを出すために六寸五分位にしたかったのであるが、全体の高さが高くなったので、緩勾配の屋根では軒高が非常に高くなって、軸部の安定感がなくなるので、やむを得ず七寸〇分まで急にせざるを得なかった。そのため屋根の急峻な感じはまぬがれない。」「周囲との調和から、できるだけ大きなヴォリウムやゴツサを感じさせないように配慮したのが、計画変更によって、かなり大きなヴォリウムが表に出てしまった。」

(金色堂新覆堂/文化財保護委員会/月刊文化財第56号)

  と、最初の案では金色堂と新覆堂の方形屋根の中心を一致させ、前面を葺き下しとすることで総高を低く抑えていたが、訂正により総高が高く、勾配も急になってしまったことなどを悔やんでいる。 (反対の理由は、前述の通り南の方へ張り出すことにしたスペースは「その幅を本体の方形造りの部分より狭くして、東北方、すなわち一般に参詣する者が登る石階のある方からは全然見えないようにくふうした。」のであるが、それらが非対称形で小細工がすぎるということであったらしい。やむを得ず妥協し、主屋部分を正方形にした。)
その対応として大岡實は総高が高くなったことにより「細部については、はじめは簡素な舟肘木にしていたが、主屋が大きく、柱も太くなった。あまり太い舟肘木は泥臭いので、相談の結果大斗肘木とし、軒天井を設けて軒桁を外方に出し、垂木が一重で済むように考えた。」と述べている。
 
 

 (金色堂新覆堂/文化財保護委員会/月刊文化財第56号)

 
     
     

 実施の立面(上)と最初の案(下)の立面との違い/(金色堂新覆堂/文化財保護委員会/月刊文化財第56号より引用) 

     
     

 実施の断面図/双方の方形屋根の中心がずれている/(金色堂新覆堂/文化財保護委員会/月刊文化財第56号より引用) 

     
     
 

 実施の平面図/(金色堂新覆堂/文化財保護委員会/月刊文化財第56号より引用)

 
     
     
 

 参考/最初の案の平面図

 
     
   このような経緯があった訳だが、「与えられた範囲において全体の形、部材の比例やバランスを整えて、まとめ上げたのが実施案である。」  
 

 (金色堂新覆堂/文化財保護委員会/月刊文化財第56号)

 
     
大斗肘木となっている
     
柱、長押、垂木などの部材はすべてコンクリート打放し。壁、軒天井は白の塗装である。一切彩色をしないことにより、透明感を出し、建物の存在感を抑えている。内部に入った瞬間の金色堂の美しさを、さらに際立たせるための演出である。主役は金色堂であり、覆堂はそれをそっと包みこむ役目なのである。

また、「木細い軽い感じのものを目指した」とあるが外観に現れる柱を意匠柱として「ゴツサを感じさせないように配慮し」ている。
     
  意匠柱(化粧材)と構造柱との関係   
     
「主屋が方形造りであるので屋根を折板構造にするのがもっとも有利なので、これを採用し、構造的主柱は四隅に七〇センチ角の柱を四本建てたのであって、立面にあらわれた柱は化粧材である。」

(金色堂新覆堂/文化財保護委員会/月刊文化財第56号)

シンプルな意匠は美しく、軒下の優しさを醸し出している
     
     
     
  コンクリートの肌は、40年を過ぎても美しく、素木材にも決して劣らない。むしろコンクリートの色そのものが、この覆堂の優しさを感じさせる一因となっている。

ところで、覆堂に込めた大岡實の思いをすべて推し量ることは不可能であるが、その思いの深さを気づかせてくれるような曽根綾子氏のコラムがある。世界遺産登録前の6月8日、産経新聞からの引用である。

『曽根綾子の 透明な歳月の光 金色堂の梢堂 もろさを守り続ける姿が愛の真髄』
私たちが通常、金色堂のある中尊寺として知っている平泉遺跡は、正式には「平泉−仏国土(浄土)を表す建築・庭園および考古学的遺跡郡」と呼ばれるのだそうだ。それがこの6月にパリで開かれるユネスコの会議でおそらく「世界遺産」として登録されるだろうといわれている。
私も30年ほど前、平泉に思い出多いたびをしたのだが、その時、最も胸を打たれたのは、金色堂そのものよりも、そのお堂を擁して建っている鞘堂であった。
金色堂の建立は1124年だというから、900年に近い年月、この見事な建造物は命を保ってきたことになる。日本以外のどこに、このような完璧な美に比肩しうる同時代の建造物があるのか、私見は分からない。
しかも平泉は、一度も都として政治の中心になったことのない土地である。むしろお世辞にも豊かだったとはいえない。「地方」「田舎」であった。そこに900年も昔から、これだけの進行と、建築技術と、独自の文化を保持する意欲が民衆の中にあったということには、改めて深い敬意を持って当然だろう。
しかし私が30年前に金色堂で感じた驚きは、もう少し違うものであった。私はその頃、新約聖書の勉強の後半の部分に差しかかっていたのだが、金色堂を収めた鞘堂の存在に打たれたのである。
新約聖書の聖パウロの書簡のうち『コリントの信徒への手紙一』の13章には次のような有名な「愛」の定義を示す箇所がある。
「(愛は)すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える」
このすべてを「忍び」に当たるギリシャ語原文「ステゴー」は、「忍ぶ」「耐える」「口を覆って語らない」などという意味もある動詞なのだが、同時に「覆い被さる」という意味もあり、まさに、もろい人間や建物を捨て身でやさしく守る姿勢を示していうと習ったからである。
つまりこの姿勢は、地震の時などに母親が幼い子供の上に自分の身を投げかけて守る姿勢をも示している。
私たちは、時々愛するものに意見をして悪いところを改めさせようとする。しかしほんとうの愛は決して相手に変わることを強要しない。
相手がどんな仕打ちをしようと、そのまま覆い被さるようにして守るだけだ。愛は、ただ信じ続け、望み続け、それでも変わらない場合は、「すべてに耐える」ものだ、と想定する。この最後の「耐える」という言葉には「ヒュポメノー」という言葉が使われており、それは重荷の下で踏みとどまり下から支え続けることを指す。ギリシャ神話の巨人アトラスが、肩で天を支え続けるあの姿だ。
鞘堂の精神も同じである。金色堂は古くてもう改築も無理だが、鞘堂は静かにそのもろさを守り続けている。その姿が愛の真髄なのである。 
 
     
     
 
年月 西歴 工事名 所在地 工事期間 助手 構造設計 施工 構造種別
昭和39.10 1964 中尊寺金色堂 新覆堂 岩手県平泉町 昭和39.10〜40.09 松浦弘二 山下建築事務所 松井建設 RC造

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