〜社寺建築☆美の追求〜 大岡實の設計手法  大岡實建築研究所
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川崎大師 平間寺(へいげんじ) 大本堂 (神奈川県川崎市)
「浅草寺本堂では旧本堂の外観の復元を強く依頼されたこともあり、伝統的な日本の社寺建築の形式を踏襲したものであり、伝統的木造社寺形式をそのままコンクリートで再現するにとどまらざるをえなかったのであるが、三番目の設計となる川崎大師平間寺本堂では光厳寺(こうごんじ)本堂のようにこれまでの社寺建築の伝統から大きく逸脱することなく、伝統的な社寺形式に則りながらもコンクリート造に適するよう工夫して設計していくのである。」(「建築史学者・大岡實の社寺建築設計」という研究課題で、初めて大岡實のコンクリートによる社寺デザインを取り上げた、横浜国立大学大学院の山田なつみ氏の修士論文より)
一作目の浅草寺本堂の軒反(のきぞ)りと同様、ゆったりとおだやかな曲線美をみせている。
大岡實は「終戦後復興される社寺建築を見ると余りにも日本古建築の真髄を無視した建築が多いので、永年にわたって身につけた技術を社会に奉仕しなければ申し訳ない」と考えるようになり社寺建築の設計に乗り出すが、「伝統的な寺院の様式を踏襲し他方ではこれに近代的な構造法をどう適用するか」が大きな課題となり、「構造が全く変わったのであるからその材料・構造の特質を生かした、形も全く新しい形にすべきである」と考えるのである。(昭和52年12月10日 有鄰(ゆうりん) より)
そして、大岡實は川崎大師平間寺本堂の設計に際して、その設計メモの中で、全体の比例、屋根と軸部、細部の手法、部材の太さ、茅負(かやおい)の曲線、破風(はふ)の曲線等に留意し、飛鳥・奈良時代の部材の比例を採用してゴツクなることを出来るだけ避けるようにしたと書いている。
また、斗拱は飛鳥時代のものがコンクリート造に適しているとも書いており、この方針のもとに本堂の設計が進められたのであろう。
大岡實は「伝統的な寺院の様式を踏襲し、他方ではこれに近代的な構造法をどう適用するか」という課題に「川崎大師本堂の構造について」というメモの中で、構造面で設計に際してとった根本の方針として次の二点をあげている。
一点目は「木構造の手法をそのまま鉄骨と鉄筋コンクリート造でおきかえることは出来るだけやめて鉄骨鉄筋コンクリートラーメンと鉄骨トラスで骨組みを作り上げる」こと
二点目は「形のためだけに垂木(たるき)をつけたり斗拱(ときょう)の形を作ったりすることは出来るだけやめて、垂木、斗拱、出桁(でげた)などすべての部分を構造体として利用する」こと
である。
正面立面図
側面立面図
また、「有鄰」(昭和52年12月10日)の中では、川崎大師本堂では「鉄骨鉄筋コンクリートに適した手法を考えて、繰型付(くりがたつき)の軒下腕木(うでぎ)長押(なげし)が受けた形式を採用した」と述べている。
それではこの「繰型付の軒下腕木を長押が受けた形式」とはいかなるものか具体的にみてみよう。
上層の挿肘木(さしひじき)形式の斗拱
大岡實は日本古建築の形態上の命と考える斗拱について、柱の上にのる大斗の部分に着目し工夫を凝らしたとして「山門の建築について」の中で次のように述べている。
鉄筋コンクリートの場合、「大斗(だいと)の下の方がくびれてくると、柱の強さは、そのくびれて小さくなった面積で決まってくる。これは、はなはだ不経済であると同時に、もしそのくびれて小さくなった部分で、十分力をもつような大きな面積をとると、柱全体が恐ろしく太くなってしまって、到底形を整えることができない。これを救済する方法として、差肘木と称して、大斗を用いず、肘木を柱に直接突き刺す形式がある。」そして「木造の場合は、実際に肘木が柱を貫通しているのであるがら、その感じが出てよいが、鉄筋コンクリートの場合は、実際に突き刺さった感じにならないので好ましくない。私が採用している方法は肘木を太く長い腕木にして、下を長押で受けて、差肘木(さしひじき)の好ましくない感じを救っている。」(差肘木(挿肘木)については末尾の参考資料を参照のこと)
上層の挿肘木形式の斗拱
上層の(すみ)部斗拱
上層の斗拱は長押のような水平材で受けると同時に柱形状の垂直材に挿し込まれているようにデザインされている。当然、構造部材として扱われている。ただし、この雲形(くもがた)の肘木は後の作品に見られるような軽快なくりぬきは無く、板形状となっていて軒を支える構造体としてのイメージが強調されているようである。また、これにより骨組自体をラーメン構造として計算することに成功している。
ところで、初層の斗拱は柱の上に大斗がのり、そこから大仏様(だいぶつよう)の繰形の肘木が出で丸桁(がんぎょう)を受ける形式(下の写真を参照)にとどまっている。
初層の大斗形式の斗拱
ここでは大斗の下に皿斗(さらと)が置かれ、大斗の斗繰(とぐり)りによって柱が断面欠損することなく鉄筋コンクリート造としての合理性を保っている。(皿斗を置くことによって、大斗の斗繰り部分の幅が柱の幅と同じであることによる造形上の不釣り合いを視覚的に救っているようだ)
初層の斗拱は柱に大斗がのる形式だが、上層は大仏様の挿肘木形式を採用している
川崎大師全景俯瞰/右上が大本堂
ここに建設当時の写真が残っている。
大岡(みのる)(前列左)と松浦弘二(ひろじ)(後列右)
そして大岡實はその設計メモの中に、今回の設計についての反省点として次の三点を挙げている。
入母屋(いりもや)大棟(おおむね)のがすぼんで見える(古い手法-破風直(はふちょく)-によったが奥深いものでは今後考えるべきと思う)
(入母屋の破風板(はふいた)は垂直ではなく、上にいくほど外へ出る、つまり、「()げ」ている。その理由は下から見上げた時、垂直だと遠近法で大屋根がすぼまって見える。そこで「投げ」をつけることにより、上にいくほど屋根は広がり、下から見るとあたかも垂直のように見える。目の錯覚を利用しているのである。しかし古い時代はまだそこまで発達しておらず、破風が垂直になっている。ここではあえて古い時代の雰囲気を出すため、その手法をとったが、少し反省点があるということではなかろうか)
垂木(たるき)を太くしたのはよかったが(浅草にこりて)持送(もちおくり)肘木が弱かった
(「浅草」とは浅草寺本堂のことと思われ、浅草寺本堂の垂木について少し細かったと感じていたのかもしれない/垂木を太くした分、バランス的に持送肘木をもう少し強調すれば大きな屋根を支えているという力の流れが実感できて、法隆寺のごとく力強いデザインとなったのにとの思いであろうか)
・背面を簡単にしたが、よく見えるのでもう少し考えるべきだった
(当時はそうであったと思われるが、現在は本堂背面に三宝殿が建てられ背面は隠れてしまっている)

こうして川崎大師平間寺本堂は昭和26年には設計が行なわれ、昭和27年着工、昭和39年落慶した。
年月 西歴 工事名 所在地 工事期間 助手 構造設計 施工 構造種別
昭和27.10 1952 川崎大師
本堂
川崎市川崎区
大師町4-48
昭和27.10〜39..05 松浦弘二 小野薫・田中尚
佐治泰次
大林組 SRC造
     
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川崎大師ホームページ http://kawasakidaishi.com/
     
 
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なお、文中の鉤括弧(かぎかっこ)の部分は文中で示した資料や大岡實著作並びに寄稿他から引用したものです。

参考資料
挿肘木については下記をご覧ください。
http://www.intsurf.ne.jp/~m_kato/yougo4.html
大仏様の遺構は東大寺南大門と浄土寺浄土堂の二棟だけである。
  東大寺南大門  
上記挿肘木の拡大写真
     
     
  浄土寺浄土堂   
     
上記挿肘木の拡大写真
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